オードリー春日
春日 俊彰(かすが としあき、1979年2月9日 - )は、日本のお笑い芸人。
お笑いコンビオードリーのボケ担当(当初はツッコミだった)。
相方は若林正恭。
所属事務所はケイダッシュステージ。
身長176cm、体重83kg B101cm・W83cm・H98cm B型。
立ち位置はカメラから向かって右側。
ネタの中ではツッコミを演じるが、ちゃんと若林にツッコミをしないため、逆にツッコまれる芸風。
胸を張りながら登場する。
一人称は「春日」
胸を張った状態で人差し指を立てながら『トゥース!』と叫ぶギャグを持つ[2]。
衣装のピンクのベストはユニクロ製。
だが現在は売られていない為、似たような物を探して現在は5着持っている。
趣味はバイク、グルメ番組鑑賞。
最近は近所の公園で一人野球(守備をしているとき、ボールが飛んでくることをイメージし、実際に声を出しながらその真似をすること。
ちなみに攻撃側はないらしい。
以前は1人サッカーをしていた。
これもキーパーのみで、シュートを打つ選手ではないらしい)と芝生の上に寝転がって死んだ振りをして、どのくらい気づかれずに済むかを試すということだという[3]。
自称ドM。
色黒で鼻が高いため、よく外国人に間違えられるが、生粋の日本人。
家族構成は両親と妹。
若林によると、母親は大柄で遠目で見てもすぐ「春日の母」だと分かるらしい。
春日によると母親は学生時代、ソフトボール部の捕手でスラッガーだったという。
また妹は谷本歩実選手の様な雰囲気を持った人間だと述べている。
若林の家庭と同様、芸人になることを春日の家庭は反対していた。
実家に帰ったとき、母親に今までかかった教育費を計算され、「これだけ金をかけて教育したのに、お前はお笑い芸人になるのか」と言われたらしい。
しかしお笑い芸人として活躍を見せるにつれ積極的に応援してくれていたという[3]。
春日によれば、春日の父はオードリーのTV出演の映像を「春日ベスト」としてDVDにまとめ近所に配っている。
そして、表札にはオードリー春日の実家と書いていた。
しかし、後に春日が消すように言ったので父親は「オードリー春日の実家」という文字を消したが、この事に父親は憤慨し、春日と一緒に親子漫才などには出ないと言っているという。
(春日談)
おすすめサイト
中尾彬の物真似が得意[4]。
所沢市出身という事で、埼玉西武ライオンズファン。
小学校の時は少年野球を習っていた。
また学生時代は西武ドームでアルバイトしていた経験を持つ。
精神的にもタフな性格でM-1グランプリ2008でも一切緊張した姿を見せず、司会の今田耕司から「(優勝する)自信は?」と聞かれた際に真顔で「(自信が)なければここに立っていませんよ」と言ってのけ、観客を熱狂させた。
高圧的なキャラクターは元々で、学生時代は「俺はストレートで東大に行ける!」などと発言していた為、他の同級生からは嫌われていたと若林は述べている。
高校時代はオタクグループに属し、朝早く登校したあとミニ四駆を廊下で走らせたり、休日は公園でBB弾を持ってサバイバルゲームをしていた。
とはいえ、成績は良かった様で国語だけなら早稲田に行ける程の偏差値だったらしい。
高校生時代、アメフトでオール関東のメンバーに選ばれたことがある。
大学進学後もアメフト部に入るつもりだったが、練習などの雰囲気が本格的だったなどのことからあきらめて、お笑い番組のプロデューサーを目指そうと思った。
まだ売れていない頃、春日が「俺は死なない」と常日頃から言い張っていたので、若林とその周辺が「じゃあ春日を殺してみよう」と、バイト帰りの春日を見張って車で轢こうとした。
春日は車の急接近に気づき、ジャンプしてフロントガラスに張り付き、車内の若林にピースサインをした。
好きな女性のタイプは太った熟女であり、落合信子や中尾ミエ、森久美子が気になるらしく、挙句の果てには相方の若林の母も気になっている様子。
カンニングの恋愛中毒やロンドンハーツで発言しており、漫才のネタにもしている。
矢口真里のファンで、1人でハロー!プロジェクトのコンサートを見に行くほど[5]。
また、皆藤愛子のファンでもあり、2007年2月25日に放送されたカワズ君の検索生活では、携帯に保存していたお宝写真(皆藤が早稲田大学在学時に所属していたフラメンコサークルの合宿に行ったときの写真)を披露し、皆藤本人が「何でそんなの持ってるんですか?」と、かなり困惑していた。
5年ほど前にいた彼女の当時のあだ名は「土偶」(太っているのにミニスカートばかりはいていた)で当時の春日のあだ名は「モアイ」だった。
若林曰く「神秘的なカップルだった」と言っている[6]。
「爆笑オンエアバトル」にて、初出場から6年かけて初オンエアしたときに「最初は何も思ってなかったんですけど、3日後くらいに『あ!オンエアを勝ち取ったんだ』と感じた。
」とコメントした[7]
「アッコにおまかせ!」にて、漫才での登場時や立っている際の胸の張り方を和田アキ子に、「お前、何やねん、その態度は!」とマジ切れされてしまった。
楽屋の春日はかなりおとなしく、先輩芸人にも丁寧で謙虚な態度を取っている。
(品川ブログ参照)
小1から中3まで水泳を習っていた。
その経験もあり、2006年10月16日放送の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!スペシャル』(テレビ朝日)の芸能界潜水選手権[8]ではトライアルで出場し、当時日本で5位となる92メートルを記録した。
また、2008年9月15日放送の同番組では、「漢字検定2級を持っています」と発言している。
写真週刊誌「フライデー」に同じ歳のぽっちゃりaiko似(若林曰くイソジンのカバにそっくり)の女との“腕組みデート”を激写される[9]。
しかし、写真を撮られたことを女性に話すとその後、音信不通になっているという。
実は1年以上前から付き合っていた。
若林や事務所の先輩から「ポンコツ」扱いされているが、お笑いに関してポンコツという意味。
知性を問うヘキサゴンIIやおとなの学力検定スペシャル小学校教科書クイズ!では若林より優秀な成績を収めている。
意外にも女性ファンが多く、芸能界でも土屋アンナ、南明奈が春日のファンだと公言する。
南は「春日のココ(左脇)開いてますよ」のフリに「入りたい」と言うが、土屋は春日の後述される倹約エピソードを聞いてドン引きし「TVで見てる方がいい」と言われてしまう。
2007年、K-1 JAPAN 戦士育成プロジェクトに応募し2月25日の第1回トライアウトを受験、合格は逃したものの潜在能力を評価され準合格となったが、5月6日の『K-1 JAPAN TRYOUT 2007』で行われた最終試験でのスパーリングでは立川隆史に計4度のダウンを奪われ圧倒された。
その後アーネスト・ホーストの元で合宿を行い、8月16日、ディファ有明で開催された『K-1 TRYOUT 2007 SURVIVAL』にて中国の王洪祥(ワン・ホンシャン)と対戦したが、2Rと3Rに一回転ダウンを奪われ最大5ポイント差の判定0-3で敗れた[10]。
試合前に王洪祥はキャリア3ヵ月と聞かされていて(実際は14年)、試合後春日の右耳の鼓膜が破けてしまった為にK-1を2試合で断念した(本人曰く引退した)[11]。
アーネスト・ホーストの元で合宿を行った時、真剣すぎたせいかどうしても返事が「うぃ」になってしまい、練習が終わったときホーストの通訳から呼び出しされ、「ホーストが怒っている『あいつは返事がおかしい』と言っていた。
」と告げられたらしい。
そのため、春日はうぃと言ってごめんなさいと謝ったという。